鍼灸重宝記≫神灸神針の方法/鍼灸重宝記終

神灸神針の方法

『本艸綱目』に曰、五月五日に桃の木の東へ引たる枝を取り、削て木針とす。雞子の如く長さ五六寸にして、之を乾し、もちゆるとき、綿紙三五層を以て、患る処に襯、針を将て麻油に蘸し点を着て、吹滅し、熱に乗じてこれを針すと、又艾葉一種を糊にてねり、紙につつみ、箸のごとくにし、日に乾して用ゆ。灸するとき、紙を四重に畳み、表裏に墨を点じて、灸穴に中て、火針に火をつけ、墨点に当て推すべし。猶、口伝あり、又雷火神針の法あり。
熟断艾の末一両 乳香 没薬 川烏頭 草鳥頭 川山甲 桃樹皮の末 硫黄 雄黄各一刃 射香五分右末して、艾を拌ぜ厚紙を以て裁て條と成し、薬艾を内に鋪緊く巻て指の大さ長み三四寸にして瓶内に収め貯へ、地中に埋むこと五十日取出し用ゆるとき燈の上にて点着吹滅して紙十層をへだて熱に乗じて患る処に針す。熱気直に病処に入て其効さらにすみやかなり並に冷水をいむ。

鍼灸重宝記終

夫れ、鍼灸は源素霊に出て、而て蘆扁も亦これを学ぶ。然といへども、今我朝の諸医専ら湯薬を用て、而て唯針灸は庸医盲人の業とす。必ず此を捨ること勿れ。古来鍼灸の書多しといへども文盲の輩何ぞよくこれを伺ふことを得んや。故に予、其の謭陋を忘れ、僭偸を顧ずして群書之要領を采り、至近至要之義を録して、以て野巫やぶ医の助とするのみ。因て之を名て鍼灸調法記と号す。庶幾は自ら当に生べき者を使て、死せざらしめんことを。豈に生を救ふ一助にあらざらん乎。
ときに享保戊戌春 芳菊堂 本郷正豊撰

新刻鍼灸重宝記而十有余年然後正誤而享保乙卯年再彫然磨滅所見之者甚労故三上梓
 寛延己巳年霜月
 江戸  須原茂兵衛
 大阪  岡田三郎右衛門
 京   勝村治右衛門

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底本:『鍼灸重宝記綱目』(京都大学附属図書館所蔵)
図は画像データより抽出し一部加工