『鍼灸重宝記』本郷正豊著(6)

天地人男女の法

人に天地人の三才あり、針に天地人の三才あり。人の胸より上を天とす、鍼を軽く浅く刺べし。胸より臍までを人とす、針を中様に用ゆ。臍より下を地とす、重深く刺べし。中にも胸より上に刺こと大事なり。胸は是心の兪、神の舎る所に近きゆへなり。天に刺さば針を伏て浅く軽くひねるべし。若し針刺して過あらば、病人の面を袖にておほひ、口鼻の息を温め、面に風をあてず、男は足の三里、崑崙、女は三陰交、さて男女ともに臍下一寸五分気海の穴を刺て補瀉をなすべし。かならず蘇生よみがえるなり。
又、針に天地人の三才あり、刺て皮肉に至るを天と云ひ、肉の内に至るを人と云ひ、筋骨に至るを地といふなり。
『難経』に云く、春夏は浅きに宜し、秋冬は深きによろし。男は浅く女は深く、午前は男は浅く女は深く、午後は男は深く女は浅く刺すべし。是、陰陽の法なり。
針灸を行ふには先づ、行年、宜忌よしあし、及び人神在処を定むべし。然らざれば害あり。万物は五行の理にそむかず、人は天地の正理なるゆへなり。経に曰、人は天地の気を受て生ず、天の陽気は気となり、地の陰気は血となる、天地は万物の父母たり。頭、面、喉、胸、心、腹、臍下、肩、背、肘、腿、手足、各手法あり。みだりに治を施すべからず。

太極の論

夫れ針に太極と云ことあり。此のことわりことばにのべても心におちず、心に得ても言に述べがたきことの万物の上において太極の理あらずと云ことなし。先づ天地未だ分れざるをいふ、其の太極、わかれて陰陽両儀を生ず。是より寒暑燥湿風、木火土金水、千変万化となる。分けて云ときは虚無より混沌をいだす、清は上て天となり、濁は下て地となる。是、乾坤の初なり。針の上において沙汰するときは、針は本金、虚無の躰、細少無心の物なり、何によってか千変万化の病を治す。是、針者の術を得るところ、補瀉迎随、温冷寒熱、病に随ひ明手を施すこと、太極の口伝あり。しかれども極めて秘密なれば、分明にあらはしがたし。針の道にかなふときは、なんぞ至らざるべけんや。一気その中に周流して、以て其の神をなす。自然にそなはれる理なり、外にもとむべからず。

十四の鍼法

一に者、気の行らざるには針を伸提し、うごかして気をめぐらすなり。
二に退とは、補瀉をなして針を出さんと欲する時、まづ針を三分ほど抜きかけて、又却て針を留め、方に抜出すべし。
三にとは、凡そ熱病を治するには外に向ひ針を臥て、搓線の状の如くす、はなはだ緊しくすることなかれ。寒病を治するには裏に向ひ臥せて搓線の如くす。
四にとは、凡そ気を得ず、男は外、女は内、及び春夏秋冬おのおの進退の理あり
五にとは、凡そ腹の部に針するには、穴の内に於てかろく盤揺するなり。中院、関元の如きに先づ刺して入ること二寸五分、退き出すこと一寸、ただ留むること一寸五分、内に在らしめて盤揺するなり。
とは、凡そ瀉するとき針を出さんと欲せば、動揺して後に出すべし。
とは、補ふとき大指の甲にて軽く針を弾き、気をして疾に行らしむ。
とは、手指にて針を撚り左を外とし、右を内とす。女は是に反す。
とは、針を部分経絡の処に下し手にて循り、気血往来せしむ。経に曰、これを推すときは行、これを引くときは止。
とは、補の時に針を抜て、其針口を手にて捫閉るなり。
とは、針を刺すとき気渋り滞ることを得ば、経絡に随ひ上て、大指の甲にて上下に其気血を切にすれば、をのづから通じ行るぞ。
とは、手にて針を按して、進退することなく按切の状のごとし。
とは、針を下して左手の大指の爪にて重く穴の上に抓し、気血を散ぜしむ準あり。
とは、針を下さんと欲して、まづ大指の甲にて其針する所の穴を按し、左右の気血を宜散して後に刺すべし。これ栄衛を傷らしめざるなり。

補瀉迎随の論

手法の補瀉、虚実の補瀉あり。まづ針鋩を口にふくみ温めて、右の肘を向へはり、手先を内へかがめ、大指さきを前に向ひ、呼気にしたがひて食指をそへ大指にて和かにひねり下すとき、咒して曰く「五帝上真六甲玄霊気付至陰百邪閉理」と三篇念ず。入こと二三分、留ること五六呼、経に随い病に随いてひねり下し、進退動揺せしめて気を至らしめ、手を振い針をはぢく、徐々にして吸にしたがいて針を出し、孔を閉じよ、是手法の補なり。
瀉は肘をさげて我が前に付、手先を向うへなし、大指をさきに向けて、吸にしたがひてひねり下す。大指を添へ食指にてひねるとき咒して曰く、「帝扶天形護命成霊」と誦すること三遍、入ること三分、留ること五六呼にして、経に迎ひ病に迎ひて撚り下す。気至て左手にて針の口を開き、呼にしたがいて針を出す、孔を閉ざるがよし、咒を念ずるときは一心針に念をよするぞ、是手法の瀉なり。婦人はこれに変ず補法を瀉とし、瀉法を補とす。虚実の補瀉は補は不足を補ひ、瀉は有余を瀉す。不足は痞をなし、麻をなす。有余は腫をなし、痛をなす。
天民が『正伝』に曰く、其鍼を刺すに補瀉の法ありといへども、予恐らくは倶に瀉有りて補無しと、しかれども此文段には針法ばかりにて手法の論なし。予思えらく、『霊枢』に曰く、微鍼を以て其経脉を通し、其血気を調へ、其逆順出入之会を営せんと欲す。とあるぞ、又世俗の医者が云うことは針するときは気力おとろへ病に宜しからずと。我いまだ針して人の気力おとろふと云ことをしらざるぞ、夫れ人の病は邪気勝て正気まくるぞ、蓋し針は邪気をしりぞくるもの也、邪気さへしりぞくときは自ら正気は盛になる理なり。我俗医の言うところの意旨をうかがひ看るに、只針は痛を忍の労あり、是を以て針するときは気力おとろふと云うことぞ、いささか『鍼経』をあきらめて云うにはあらず、まことに是俗説なり。針に痛みの性なきことぞ、いたむと痛まざるとは刺者の能と不能とによるぞ、若し妙手を得ば何ぞ忍痛の労あらんや。『鍼経』に云く能く刺す者は肉を傷らずして能く病に中るとあるぞ、抑々針の其来ること尚しきことぞ、寧ろ一人の不能を以てながく万世の針法をすつることをせんや、針に忍痛の労あるは刺者の不能なり。ただ針のみにあらず、薬に於ても亦然り、医のよしあしによって薬の人を害すこと針よりもはなはだし、もし妙手に逢うときは針薬ともに病を治するぞ、悪手に逢うときは針薬共に人を害すべし、なんぞひとり針において其害を論ずることあらんや。
又或人問うて曰く曽て聞く、針に瀉あって補なし、と『正伝』にも見へたり。故に人みな恐ると、予が云く、針に瀉あり。と云うは正に病の有余するところを刺て実邪を瀉するの義にて瀉薬の如きの義にあらず、又『正伝』に補なしと云うといへども己に『鍼経』に補の義を述べたり、不足を刺して病を除くときは元気みちを得てめぐるぞ、是元気を生ずるにあらずや、庸医は補の補たることを知て、瀉の補たることを知らず、と程明祐が妙論にて悟るべし。
たとへば行人東より西へ通るに、中途に賊ありて通ることならず、時に傍より見る者ありて、かの賊を追払ふときは行人やすくして道を通る、まさにしるべし、途を通る者は正気なり、これを妨る賊は邪気なり、かの賊を追い退る者は針なり、夫れ針に四法あり。其一つを迎随と曰ひ、是針に補あり瀉あるの証なり、何ぞ偏に補なしと云わんや、医師として針をそしるは武士の兵刃をそしるごとし、国に奸賊あるときは兵刃を用ひ、人に疾病あるときは針薬を用ゆ、たとえば薬は智仁のごとし、針は兵のごとし、智仁を表にし兵を裏にするときは剛柔そなはって国受治らざらんや。
凡そ人の経十二、各経五穴あり井栄兪経合といふ是なり、五にして十二なるときは六十穴なり、是針の要穴なり。針灸の穴一身に三百六十穴、その針するところ要穴六十、又その要なるもの二十四穴なり。腑の病には各経に依て其経の兪を刺す、臓の病には各経によって其経の合を刺す、これ十二兪十二合あわせて二十四穴これ也。兪はこれ各経の本原なり、故に又原穴とも名づくるぞ、其経に病あるときは其経の原穴を刺して治するぞ、其経実するときはこれを瀉し虚するときはこれを補す。
経に曰く瀉にはかならず方をもちひ、補にはかならず円をもちゆ。或人の曰く方円の義いかん、予が曰く、方とは気の方に盛ならんとする方なり、是気の将に盛ならんとするを見てこれを迎えて刺して気の実を抜く、故に瀉には方をもちゆといふ。円は行なり、移なり、宣びざるの気を行らし未だ復ざるの脉を移すなり、宜びざるをめぐらし、いまだ復ざるを移してこれを済ふ、これ虚気を扶助してこれを補ふなり。迎随の義なり。たとえば足の三陽の経は頭より足にいたるまで、針を刺すものの指を以て、経脉を摩り上せて針鋩を上に向て、経脉のすすむに逆てこれを刺してその実を抜く、これ迎て奪うの義なり。又刺人の指をもって経を摩下して、針鋩を下に向て、経脉の後に随って済うの義なり、虚して脉滞りて移らず、故に後に随ふ、刺して脉を移らしめ気をのぶる。たとへば牛労して車移らざるを、人後より輪を推て力を牛に合せて車を移すがごとし、これ随の義なり、経脉は子より午に至り、午より子に至って、陰陽上下の分あり、今その大概を記す。ふかく思惟せば針は実を奪ひ虚をすくひ経脉をととなうものなり。経脉めぐらざるときは五臓六腑邪を受る。もし運用の道を断たば関格の憂あらん、夫れ関格は命を尽さずして死すと、これ古人の言なり。針はこれ急を救うの方手、よく刺すときは其功、薬よりも早きぞ。
又経穴にかかわらずして病の処在を刺す、これを散針といふ。徐氏又これを天応穴と云う、今の針科多くは此散針の一法のみ。たとえ経穴を考えて刺す者あれども迎随の理をしらず、故に針其経に中るといえども迎えてうばい、随てすくうの義なし。又長針を以てふかく刺すゆえ、経脉をつらぬきとおして、針むなしく臓腑に入て損傷をなす、古人の禁ずるところ也、惧むべし。もろもろの経脉みな外に有りて針裏に入る其用なし、其穴によつて針入こと二分、あるいは二分半、あるいは三分おのおの分あり。故に昔は周身三百六十穴、針も亦三百六十本ありて其経を刺すにその針をもってす。それ針を刺す者よく知れ、みだりに深く刺して損ぜざるを損じ、傷れざるに傷れを成すべからず。

当流伝受の奥義

そもそも、予が伝るところは本朝針家の祖、無分の末流なり。病の頭にあるも腹に刺し、病脚にあるも亦腹に刺す。その刺すに次第あり、諸病まづ臍の下二寸、丹田の一穴を刺す。これ腎間の動気にして十二経の根本なり、これを刺して元気を劫かし、其後に散針の法によつて経穴に拘らず。ただ邪気のある処を刺して、元気の巡途を開きて通ぜしむれば気順ずる、気順ずれば痰順ず、痰順ずれば熱散ずる、熱散ずれば風内に消す。況や又気順ずるときは血活す、血活すれば潤い生ず、潤い生ずれば精を益す、精益すときは神内に立、それ針の功をなすこと此の如し。
古人は満身に刺すを好とせず、兪原に刺すを好とす。腹に刺すを好とせず、四肢に刺すを好とす。是はただ臓腑にあたらんことを恐れて此のごとし。たとひ兪原を刺すも、亦四肢を刺すも意を得ざるときは不可なり、腹を刺すとも意を得て刺すは可なり。古人腹を刺すことを嫌いたるは、針深く入ては、臓腑を損ず、臓腑損ずれば忽ち死す。されば針の鋭、皮裡膜外に止まって臓腑へ入らざるように刺すべし、臓腑へ入れば、害をなすのみにあらず、其功なし、その故は四気外感の熱、七情内傷の火、蒸して盲膜乾き枯れて、夏の温気に汗多くして身に垢のつもるがごとし、又竈の上の煤のごとし、冬の木葉に霜の結ぶがごとし、況や又膜外乾くときは、皷の皮を急に張りたるがごとし、故に膜沈みて裡につき臓腑を押へ元気の途をふさぐ、此時に當て気滞りて諸病を起す。
然れば針鋭を膜外に止め、手法を柔かにして推下すときは、気の途ひらく、気の途ひらくときは、血順る、血順るときは膜もうるおいを得ていよいよ和ぐなり、故に病の滞るところなし、人多くは針を刺すに此意を得ず、此意を会得して刺すときは、腹を刺すというとも何のおそるる処かあらん。
『内経』に曰く、熱の熇々なる時、脉の渾々たるとき、汗の漉々たるとき、大に労たるとき、大に飢えたるとき、大に渇とき、飽食したるとき、大に驚きたるとき、是等はみな刺すことなかれと。
又形気不足、病気不足、これ陰陽みな不足也、これを刺すべからず。此を刺すときんば重ねて其気を竭し、老者は絶滅し、壮者は復せず、とあり。中にも経脉を刺すの針は脉中の気を奪うゆえに、みなこれを恐るべし、尤も針は経脉のところを除きて、ともに膜を刺しやはらぐべし、是すなわち扁鵲が抓膜の奇術なり。

針浅深の論

春夏は陽気上るゆえに人の気浮ふ、針をあさく刺すべし。秋冬は陽気下る故に人の気も沈む、針を浅く刺すべし。陳氏が云、春は気、毛の分にあり。夏は気、皮の分にあり。秋は気、肉の分にあり。冬は気、骨髄にあり。是浅深の応なり、陽分に針するときは針を伏て刺す、陰分に針を刺すときは、先づ左手にて針する処の栄兪を按し摩でて気を散じ、すなわち針を刺す。此を栄を刺すに衛を傷ることなく、衛を刺すに栄を傷ることなしと云なり。

阿是の穴

阿是の穴は秘伝なり。凡そ経穴三百六十所みな経の正道なり、其絡穴にかかわらず三百六十穴の外、痛む処を推て針灸を行う。これ阿是の穴なり。前にも記すごとく、これを天応の穴とも散針とも云うなり、しかれども猥りに行うべからず。たとえば田を行くに道を行かずして田の阿是を行くこころなり、道にあらねども田の中を行かずして阿是を行くがごとし。経絡の外なれども妄にほどこすにはあらず、道理を考え針灸をおこなうべし、乱にほどこすときは人をなやます。然るゆえに秘中の秘としてこれを忤さず、初学の者のすることにあらず、経絡を会得したる上にて阿是の術を行うときは奇効あり。

針刺して抜けざるを抜くの法

鍼肉内に入ること四五分にして出でざるときは皮肉針先に纒付きたるなり、此の抜きようは、息の出るとき指に力を入れて一竸にすっと抜くべし。又一二寸もひねり下して出でざるは、臓腑の邪気運動して針先に集り、まとい付きたるなり。且進退動揺せしめ邪気をちらして指に力を入れて心しづかに抜くべし、出がたきとて病者も針者も驚くによっていよいよ抜ぬもの也。あるいは其傍に別に針を刺して気を省散して後にぬくもよし。

折針を抜くの法

針折れて肉の内に在りて出でずんば、鼠の肝と脳とを杵爛かし針口の上に塗るべし。又象牙を粉にして水に調て貼すべし。若し針口愈合する者は平針にて割開て薬を貼すべし。

針灸慎の事

凡そ針を用いんと欲せば前一日、後三日房事を慎むべし。灸は前三日、後七日房事を忌むべし。又針灸を用る時怒るべからず、もし怒る事あらば、暫く気を定めて後に用べし。又はなはだ飢、はなはだ飽き、酒に酔い、労役する時に針灸すべからず、若し労役することあらば、暫く休めて後に為すべし。灸の後三日風呂に入るべからず、洗浴は翌日より用ゆべし、又風寒を禁ず、よく窓隙を閉じておこなうべし。

灸穴を点する法

灸穴を点せば天気よく曇らず、風なき時窓戸をふさぎて病人の暑からず寒からざるようにして、医者心を収め、点すべき兪穴を思慮し、病人の四躰少しもかたぶかず真直にして分寸を量り、兪穴を定め手を以て穴を按すに指の下陥み、病人の心に快く徹ゆるは、これ兪穴に的る証なり。兪穴すこしも差へば徒に好肉を傷りて病に益なし。坐して点するときは坐して灸すべし、立ちて点するときは立ちて灸すべし。左より先にして右を後に、上部より先にして下部を後に、背より先にして腹を後にすべし。但し女は右より先にして左を後にすべし。


底本:『鍼灸重宝記綱目』(京都大学附属図書館所蔵)
図は画像データより抽出し一部加工

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