江戸時代の鍼師・杉山和一検校が著した『杉山流三部書』のひとつ『選鍼三要集』の原文の全文を掲載いたします。江戸時代の鍼灸治療の勉強用素材としてご活用ください。
序
愚、偏陋を禀けて竊に鍼の道に志すこと日有り。故に入江先生の足下に遊んで命を聞くことを得たり。先生の道、軒岐を宗とす。故に常に謂ふ、見つべき者は内経なり。鍼法に於いて秘の旨多しと雖も補瀉要穴に過ぎず、虚実を分かち補瀉を用ひ井榮兪経合を宗とし要穴を主とすべし。且、餘力有るときは経穴を諳ず、是に鍼の道畢る。臨機応変、医は意と謂つべしなり。予、其の幽言を慕うて書を作りて大意を述ぶ。実に門人初学の為に発す。円機の士必ず以て贅と為ん。
題に曰く、一に曰く神を治む、二に曰く身を養ふことを知る、三に曰く毒薬の真たることを知る、四に曰く砭石小大を制す、五に曰く府蔵血気の診を知る、五法倶に立て各先ずる所有りと云云。
愚按ずるに、霊枢玉版篇に謂へること有り。帝の曰く夫子の鍼を言ふこと甚だ駿ひなり。能く生ける人を殺し死する者を起こすことあたわず。子能く之に反せんや。岐伯の曰く能く生ける人を殺し死する者を起こすことあたわずと。帝の曰く余之を聞くときは不仁と為す。然れども願はくは其の道を聞いて人に行はざらんことを。岐伯の曰く是れ明道なり、其れ必ず然らんや。其の、刀剣の以て人を殺すべきが如く、飲酒人をして酔はしむるが如しと。
診ること勿じと雖も猶知るべし。嗚呼、旨あるかな経なり。唐の王燾、深意を失て鍼を取らざるなり。是に依りて後世の愚人、耳目を驚かす。何ぞ此の理有らんや。猶ほ鍼のみを謂ふにあらず。総て妄りに之を用ゆるときは薬灸何ぞ人を殺すの理無んや。然るに内経に鍼のみ人を殺すといふは実とに深意有りて存す。何を以て言ふとなれば、宝命論に謂へること有り。深渕に臨むが如く、手に虎握るが如し。神、衆物に営することなかれ。此れ王冰所謂工巧にして以て妄りに用ゆべからずの故なり。医統に曰く扁鵲謂へることあり。疾腠理にあるは熨炳の及ぶ所、疾血脈に在るは鍼石の及ぶ所、其の腸胃に在るは酒醪の及ぶ所、是鍼灸薬三つの者を兼ぬることを得てして後に與に医と言つべし。曩武、謬ち活人の術は薬に止まると以へり。故に鍼と灸とを棄てて之を講ずることなし。傷寒の熱、血室に入りて閃挫す。諸疾薬餌の能く愈す所にあらず。必ず夫れ刺す者を俟ちて則ち愈ゆ。又、介賓類経に此の事を論ず。一婦人傷寒の熱、血室に入ることを患ふ。医者識らず、許学士が曰く小柴胡を用ゆること遅し。当に期門を刺すべし。予、鍼することあたわず、善く鍼する者を請ふて之に鍼す。言の如くして而して愈ゆ。是れ鍼の要に非ずや。予もまた源を澄し本を端さんと欲する豊蔀に坐するが若し。嗚呼旨有るかな鍼や。何ぞ妄りに二氏之を取らずと謂はんや。
◇ 目 次 ◇
序
補瀉迎隨を論ずる第一
井栄兪経合を論ずる第二
虚実を論ずる第三
謬鍼を論ずる第四
腹経穴
九鍼の図
十五絡脈
十四経穴並びに分寸
鍼灸要穴の論
禁鍼穴歌
禁灸穴歌
選鍼三要集跋